感情の発露として涙を流すのは、人間特有の現象であり、他の動物には見られないと言われています。涙は排泄物の一種でありながら、他の排泄物と一線を画して扱われるのは、感情とリンクしているが、その仕組みが今ひとつ解明されていないため、どこか神秘的で、ときには美しくさえ見えたりするからでしょうか。
でも、嬉し涙や感動の涙などはともかく、悲しい涙はできれば流したくないですよね。涙はどうして出てくるのでしょうか。
玉ねぎを切っているときに出る涙(刺激による涙)と、感情が高ぶって出る涙は、成分が違い、感情による涙は、刺激による涙よりも、より高濃度のタンパク質を含んでいるという実験結果があるそうです。この実験を行ったのは、生化学者のウィリアム・フレイ二世(William H. Frey II)という人で、涙は感情的緊張によって生じた化学物質を体外へと除去する役割があるのだろう、という仮説を提案し、その仮説の妥当性を調べるために上記の実験を行ったらしいです。
ここからは私の勝手な推論というか、妄想的仮説なんですけど、涙によって高濃度のタンパク質を排泄しているということは、体内に余計なタンパク質が溜まっており、そうした余計なものを排泄しようとして、涙を流さざるを得ない事態が発生するのではないかと思うのです。感情的緊張が先ではなく、余剰タンパク質が先ではないかと。
嬉し涙や感動の涙でほろりとする程度でしたら、涙の量も大したことはないと思いますが、悲しみやショック、怒りなどで激昂して大泣きしてしまうなんていう場合、相当な量の涙が出ます。つまり、相当な量のタンパク質が排泄されたことになります。体としては、余計なタンパク質を手っ取り早く排泄したいという思いがあり、その思いに応えようとして、体の自浄作用を助ける現象(悲しい出来事)が発生するのではないでしょうか。
私は昔、悲しいことや嫌なことがあると、食糧を大量に買い込んできて、思う存分泣いては大食いしていました。
でも、私の仮説が正しいと仮定すると、大泣きしてヤケ食いしたら、元の木阿弥ですよね。せっかく排泄したタンパク質をまた取り込んでいるわけですから。大泣きした後、節制して余計なものをため込まなければ、再び大泣きするような目に遭わずに済んだものを、節制どころか、泣きながら大食いしていたので、さらに悲しい事態が発生し、また泣きながら大食いして。。。と悪循環です。
何か悲しいことや辛いことがあったら、とりあえず大泣きして不要なものをすべて排泄する。そして、すっきりしたら、節食して、余計なものをため込まないようにする。これが開運の鍵ではないでしょうか。
上記の仮説の妥当性を調べるため、自分の体で一生をかけて実験してみようと思います。実験サンプルがひとりなので、普遍性は証明できませんけどね(笑)。
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