日々の生活の中で、動揺することなく、いつも穏やかな気持ちで淡々と過ごせれば、最高なのですが、私はそうした聖人君子のレベルからはまだまだ程遠いところに位置しており、ちょっとしたことで心がぐらぐら揺れ動いて、落ち込んでしまったりします。落ち込んでいる状態というのは、エネルギーが枯渇しているのではなく、非生産的な活動にエネルギーが回され、生産的な活動を行うエネルギーが不足している状態だと思います。
私の場合、この非生産的活動の筆頭は、ちょっとした失敗が引き金となって始まる自己嫌悪とか劣等感といったネガティブな感情です。本来なら、失敗を反省して、次の対応を考えればいいだけのことなのに、いつまでもネチネチと悩んだり、過去の失敗を次々と思い出して自分の駄目さ加減を再確認したり。。。
昔は食べることで、こうしたネガティブな感情に対処しようとしていました。しかし、それがろくな結果を生まないことは、過去の記事に書いたとおりです(笑)。
それで、最近はもっぱら、書いて吐き出すことにしています。パソコンのテキストエディタを開いて、頭の中にある感情をとにかく書きまくります。パソコンに向かう気分でないときは、紙に手で書き殴っています。とりとめもない、単語レベルの感情を吐き出しているうちに、徐々にすっきりしてきます。そして、書いたファイルは削除。紙は捨ててしまいます。書くだけ書いたら、保存せず、必ず削除、破棄します。
未消化のどろどろした感情を記録してしまうのは考えものです。日記など、記録として残すものには、いったん消化して、ある程度整理された内容を書くべきだと思っています。後日読み返したときに、生々しいネガティブな感情を思い出すのは、たとえ大昔のことでも、良いこととは思えません。
また、他人に話すのも良くないと思います。若気の至りで、愚痴や不満を言い合えるのが真の親友と信じていたこともありましたが、今となっては、それはとんでもない勘違いであったと言えます。
愚痴や不満は、聞かされる人にとって迷惑なだけでなく、話している本人にとっても非常にマイナスになると思います。他人に話すと、いったんは自分の中からネガティブな感情が消えたように感じますが、その話を聞いてくれた人の中に、そのネガティブな感情が残り、それが、後日その人と話したときに再び自分に戻ってきます。これではいつまでたってもネガティブな感情を手放せません。
最終目標は、何事にも動じず、ネガティブな感情など一切起きないという状態です。しかし、今のレベルからそこまで一足飛びに進化するのは難しいので、とりあえず、動じている時間、ネガティブな感情を抱えている時間を限りなく短くするという方向でがんばっています。
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自分の内と外にあるネガティブ要素(2019.04.19)
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