まだ起きていない未来のことをあれこれ心配したり、済んでしまった過去のことを、なんども思い返して悔やんだり嘆いたり…。こういう行為は「取り越し苦労」、「持ち越し苦労」と呼ばれています。
私は物心ついた頃からこの取り越し苦労や持ち越し苦労をする傾向が強く、人生をネガティブにとらえがちでした。そして、私の家族といいますか、一族全体がこういう傾向だったため、親戚が寄り集まりますと、なんともいえない暗~い陰鬱な空気が漂っておりました(苦笑)。
周囲がそんな感じでしたから、そうした行為が悪いことであると気づくまでに相当な時間がかかり、気づいてからも長年の癖が抜けなくて苦労しました。…否、いまだに苦労しております。
未来と過去に気を取られるということは、現在をないがしろにしている訳で、極めて非生産的な行為なんですよね。なんとか早くこの悪癖を完全に断ち切りたいものです。
今、『女性の幸福 365章』(谷口雅春著)という本を読んでいるんですが、この中には幸福に生きるための珠玉の知恵が綴られており、取り越し苦労や持ち越し苦労を戒める記述もあります。
昭和36年(1961年)初版発行という、ちょっと古めかしい雰囲気の本ですが、私は非常に感銘を受け、大いに反省し、いろいろと考えさせられました。
印象に残ったところがたくさんありすぎて、すべてを書き出すことはとてもできませんが、今日はとりあえず、取り越し苦労と持ち越し苦労に関連する、次の2箇所を引用させてもらい、心に留めておきたいと思います。
信じて待ちましょう
どうなることかと心配しながら待ち侘(わ)びる心は不幸を招く。一旦、心で「屹度(きっと)よくなる」と信じた種子(たね)を蒔(ま)いたら、その種子が発芽するまで土を掘り返してはならないのと同じで、「よくならないかもしれない」と心配してはならない。悪いことを予期するいとまがあったら、神を憶(おも)って、「屹度よくなる!」という信念の肥料をその計画に与えるがよい。
◇ ◇ ◇
去るものは追わず
過去は過去である。既に過ぎ去ったのである。過去の悲しみを反芻(はんすう)するな。古いものをつかんでいたならば、新しいものを捉(とら)えることはできない。過去を捨てるときには過去に感謝して捨てるがよい。困難だった過去でも、その困難と闘わなければ発達せしめることができないようなある種の自分の能力を発達させてくれたのであるから、そのことに感謝して過去と別れるがよい。
去る者に執着して追ってはならない。去りゆく者はあなたの魂に何物かを与える役目を果たし終わったから去るのである。去る者に対して自分を裏切ったなどと憤(いか)りや恨みをもってはならない。去る者を感謝して放ち去ったとき、新しい友または伴侶が来るための空席がしつらえられるのである。過去の恋人をいつまでも心の中に持っていて結婚するならば、その結婚は禍(わざわい)となる。
去り行くすべての人と物と事とに感謝せよ、新しき良きもの来(きた)る。
※ 私が参照したのは旧版で、原文は旧漢字、旧仮名遣いでしたが、ここでは便宜的に新漢字、現代仮名遣いに置き換えました。
↓は新版です。
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