2010年12月27日月曜日

世間の奴隷

私は今でこそ痩せていますが、子どもの頃は結構丸々としていました。生まれたときから大きめだった上に、成長が早く、横幅だけでなく、背丈もありました。幼稚園の頃の写真を見ると、園児の中にひとり小学生が混じっているという感じ。「大きい」「太っている」「重い」と親や親戚、近所の人たちからよく言われ、「細くて小さい子」のことがうらやましくて仕方ありませんでした。

「一生に一度でいいから痩せているって言われたい」
いつもそう思っていました。そして、その思いがあまりにも強かったからでしょうか。願いが聞き届けられました(笑)。今ではやたらと「細い」「痩せている」と言われます。

しかし、子どもの頃、同年代の多くはやせていましたが、今となっては、同年代の多くはふっくらしています。私はまたしてもマイノリティ(少数派)になってしまいました。世間並みになりたい、みんなと同じでありたい、多数派の仲間入りをしたい、と不覚にも思っていました。

ひろさちやさんの『世間も他人も気にしない』という本に、大正生まれの女性のエピソードが紹介されています。その女性は、小学生の頃(戦前の話です)、大阪から東京に行く際、往きは満員でゴミだらけの三等車、帰りはつばめ号の展望車(超豪華列車)に乗ったそうです。

往きの三等車で、彼女はキャラメルの包み紙をポイと床に捨ててしまいました。ゴミだらけだったので、そこにさらにゴミを捨てることに罪悪感をもたなかったのでしょう。ところが、帰りの豪華列車でもキャラメルを食べたのですが、そこはあまりにも綺麗だったので包み紙を捨てられず、ポケットにしまいました。

そうしたら、彼女の父親が、

「おまえは、ゴミだらけの車内であれば、平気でゴミを捨てる。しかし、ゴミのない所だと捨てられない。そんな周りの環境に支配される、主体性のない人間か!?」

と叱ったそうです。

「明治の人間である父は立派でした」と、彼女は述懐しました。彼女自身は大正の一桁生まれです。「父は道徳的なことを言ったのではありません。道徳であれば、わたしが三等車の中でゴミを捨てたときに叱ったでしょう。そうではなくて、父は、わたしがゴミを捨てなかったときに叱りました。あれが本当の教育なんですね」

ひろさちやさんは、それが真の意味での「主体性」であり、「自由」であると述べ、世間の奴隷になるなと熱弁をふるっています。周りがどうであれ、自分の信じる道を行け、一本筋を通せと。

周囲から太っている、痩せていると言われて一喜一憂しているようでは、主体性があるとはとても言えません。グルメブームにのらずに菜食や少食を実践し、薬や医療に頼らない暮らしをしているのだから、世間に振り回されてなどいない。私はそう自負していました。でも、実際は、まだ世間の奴隷でした。

ひろさちやさんは次のように述べています。

世間が定義した「成功」や「幸福」なんかを信用してはいけません。自分が定義した「成功」と「幸福」を求めましょう。

思い出しました。私が求めているのは、心穏やかに暮らすことだと。心穏やかに、健康で楽しい日々が送れているのであれば、世間の多数派に入ることなんて、どうでもいいってことを。

コメント

ひろさちやさんの本「捨てちゃえ捨てちゃえ」読みました。この本を読む前から人間の欲望や競争原理にはキリがなく世間で言うところの勝者で居続けるにはそれ相応の代償を払わないと無理だという事は理解出来ていました。私の想像ですがノラさんって受験勉強を強制的にやらされたタイプじゃありませんか?私はそうでした。ひろさちやさんの本にも書かれていますが難関大学卒のニートが増えているのは当然です。彼らは優秀ですからこのシステムに気が付いてしまうのです。私はノラさんのように自営業では無いのでこの価値観を言うと奇人変人扱いされます。いやされています。でも仕事である程度の成果を出しているので置いてもらっています。
リーマンショックやサブプライムローン、円高や原油高騰それらすべての原因は経済学というのはネズミ講を正当化する為の学問だからです。「地球+5%」「100%マネー」で検索して下さい。資本主義というネズミ講のカラクリが良く分かります。

投稿: 一患者 | 2012年1月30日 (月) 22時00分

★ 一患者さん

またまたコメントありがとうございます。

一患者さんは自営業ではないとのことなので、組織に所属されているのでしょうか。組織の中で独自の価値観を貫くのは並大抵のことではないと推察します。

私の場合、受験勉強を強制された覚えはありませんが、なんとなく周囲に流されて勉強して受験しちゃいました。でも、社会に出て、どうも居心地が悪く、仕事を二転三転して、心身の健康を大きく崩したあげく、ようやく、世間がおかしい、ということがぼんやり分かってきました。

ここのところ谷口雅春さんの本に夢中だったのですが、一患者さんのおかげで、また、ひろさちやさんの本も読んでみようかという気になりました。

投稿: Norah | 2012年1月31日 (火) 10時28分

ノラさんのブログは本気でやっているのが良く分かるので思わずコメントしたくなってしまうのですよ。プチ断食だの美容目的だの下らないものばっかりですから。
私の予想は外れましたがそれでも当時は学区制がありその中の進学校へ進みそこそこの大学を卒業されている事は間違いないでしょう。私も組織の中では奇人変人扱いされていますが誰もやりたがらない仕事を自ら志願し私の仕事振りを評価してくれる役員が一人だけいるから何とかやっております。周りからは大変な仕事ですね~、と言われますが世間の定義する勝ち組を目指す生活に比べたら楽なものです。私も宗教は嫌いじゃないのですがもっと医学的・科学的根拠が欲しいものです。私が独学で中医学と免疫学を勉強しているのは以前話しましたよね、ズバリ最近の研究で明らかになってきた事が2000年以上前に書かれていた事と殆ど一致しているんですよ。マジで驚きますよ。青汁だけ生活の私が考える医学的根拠は次回のお楽しみに。

投稿: 一患者 | 2012年1月31日 (火) 23時00分

★ 一患者さん

世間の定義ほど当てにならないものはないですよね。そんなものに捉われていては、不安になるだけですし…。

私の場合、本気というか、医者にはかかりたくないけど、もう若くないし、体が丈夫なほうでもないから、自分で気を付けようと思ってやっているだけなんですよ。ま、ひとことで言うと背水の陣といいますか、ぎりぎりまで追いつめられて、後戻りはできないので、前に進むしかないと思って、自分の心と体であれこれ実験しているところです。

なんだか非常に良い方向に誤解してくださっているみたいで、ちょっと心配しています(笑)。

投稿: Norah | 2012年2月 1日 (水) 10時21分

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